舞踊の歴史



history

●はじめに
 フォークダンスの歴史を調べてみました。
 踊りの歴史にとって、民族の移動、宗教、政治、戦争、侵略などが大いに関わってきます。その為、ここでの年表でも、踊りとは直接関係ない事項も紹介しています。


 ちょっと詳しい年表です。
 ●古代 西ローマ帝国の滅亡以前
 ●中世 西ローマ帝国の滅亡〜ルネサンス
 ●近代 ルネサンス以降の時代


紀元前8世紀 ●シルトス [Syrtos]
 ギリシャの代表的なチェーン・ダンスで、スロー・クイック・クイックというリズムにあわせて踊られる。
 紀元前8世紀頃に活躍した詩人であるホメロスは、シルトスについて記述しているのでそれ以前より踊られていたことが推測される。

6世紀 ●キリスト教、舞踊禁止令 (573年)

●タランテラ [Tarantella] :イタリア
 3/8または6/8拍子のテンポの速い曲で踊られる。タランテラという名は、タラントという町の名前に由来するという説と毒蜘蛛タランチュラにかまれた時に、その毒を抜くために踊り続けなければならないという話から付けられたという説がある。
タランテラはグループ、カップル、ペア、ソロで踊られる。最初は右回りに回転するが、曲の切れ目毎に踊る方向を変え、テンポも次第に速くなり、ラストはめまぐるしく回転する。

9世紀 ●キリスト教、舞踊復興

◆雨乞いの踊り:日本・讃岐
 886年、菅原道真が讃岐地方にて、「雨乞いの踊り」を始めた。後の「念仏踊り」の元となる。

11世紀 ●シュープラッター (1050) [Schuhplattler] :チロル地方
 男性による求愛ダンス。男性だけが集まり、足のあちこちを叩き、床を踏み鳴らし、拍手をし、リープ、ホップ、ジャンプを多用して踊るもの。1050年に踊られていたことが記録されている。

13世紀 ●ヴェッラー [Weller]:チロル地方
 13世紀頃にチロル地方を中心に成立した。男女が接近して踊るダンスでは、ゲルマン文化では最初だといわれている。接近する踊り方は汚らわしいという理由から教会では受け入れられず、長年にわたって踊ることが禁止されていた。しかし、アルプスの山奥などで、ヴェッラーは踊り継がれ、16世紀には都会でも踊られるようになった。徐々にヴェッラーは上品な踊りへと変化し、18世紀にはワルツ、レンドラーへと変わった。

◆念仏踊り:日本
 1207年、法然上人が讃岐の地で出会った「雨乞いの踊り」を念仏に合わせて踊るようにしたもの。この念仏踊りが盆踊りのルーツとなる。

14世紀 ●バスダンス [Basse danses] :フランス
 14世紀に始まったバス・ダンスは、15〜16世紀に全盛期となった。

●アントルメ [Entremets]
 貴族社会でアントルメ [Entremets] が流行する。アントルメは、現在はケーキなどを差すが、当時は、宴会の余興で給仕が料理を運びながら踊ることを言った。

15世紀 ●フラメンコ [Flamenco] :スペイン
 15世紀半ばにインドからつたえられたといわれ、アンダルシア地方にすみついたロム(ジプシー)の間ではぐくまれた。18世紀になり、現在の型に近い踊りとなった。

15世紀 ●ガイアルド [Gaillarde] :フランス
 フランスにてガイアルド が起こり、ヨーロッパで流行する。速い3拍子の活発なカップルの踊り。ダンサーは、飛び跳ねて踊る。ゆっくりとした踊りであるバヴァームの後に演奏されることが多い。
 最初は大衆の踊りであったが、宮廷舞踊に取り上げられた。足をチェンジさせた時、逆足を膝を伸ばしポーズする。
 エリザベス女王は、ガイアルドの上手な踊り手として有名であった。

●バレッティ [Balletti]:イタリア
 歌と踊りを統合したもの。フォークダンスのバッロ [Ballo] が元の踊り。

16世紀 ●パバーン [Pavane] :イタリア
 ゆっくりと優雅な4拍子の踊り、パバーンが流行する。

●サルダーナ [Sardana]
 2/4、6/8拍子のシングル・サークルの踊り。起源は太陽神に捧げる踊りである。16世紀頃より盛んに踊られており、19世紀には現在の型になった。

●ガボット [Gavotte]  :フランス
 農民舞踊のガボット [Gavotte] が起こる。

●ボルタ [Volta]  :フランス・プロバンス地方
 フランス南東部のプロバンスでボルタ が起こる。
 この踊りは、男女の抱擁ダンスであり、お堅いカソリックの神父たちはこの踊りを否定した。

●ブランル [Branle] :ブランル
 16世紀前後にフランスを中心に踊られる様になった集団舞踊。男女のカップルが複数組でサークルを作って踊る輪舞である。陽気で飾り気のない踊りが、祝祭日などに大いに踊られた。ブランルとは、「揺れる」という意味で、ブランコと同じ語源からきている。
 通常、4曲のブランルがセットとして演奏された。ブランル・ドゥーブル(ダブル・ブランル)、ブランル・サンプル、ブランル・ゲイ(3拍子)、速い演奏のブランルの4曲である。
 後には、宮廷の舞踊会に於ける第一曲目で踊られるようになった。

●クーラント [Courante] :フランス
 3拍子系のクーラント [Courante] が起こる。
 3/2、6/4 拍子の宮廷舞踊が誕生。クーラントは行列ダンスで、男女が離れて立ち、前半では手をとらずに踊る。後半は、男女で手をとって、LODをホップ・ステップで前進する。女性を手の下で回したりもする。全体を通してボールで踊る。
 2拍子のアレマンドの後に演奏され、アレマンド+クーラントはセットで踊られることになる。また、ルイ14世の頃には、舞踏会においてオープニングのブランルの次に踊られた踊りであり、人気のあった。しかし、メヌエットの誕生によって2番目の座は奪われた。

●カナリー [Canary]
 活発な宮廷舞踊のカナリー [Canary] が起こる。

●アルマンド [Allemande]  :ドイツ
 2拍子系の輪舞アルマンド [Allemande] が起こる。
 スイスでは、訛ってアレワンダー [Allewander] という。

●サラバンダ [Zarabanda] :スペイン
 中米のサラバンダがスペインに渡って流行し、サラバンド [Sarabande] となる。その後、ヨーロッパに普及する。重々しい3拍子系。元は女性による激しい踊りだったが、フランスに入ってからは少しおとなしくなる。

●イングリッシュ・カントリー・ダンス [English Country Dance] :イングランド

●ポロネーズ [Polonaise] :ポーランド
 16世紀後半。ポーランド王国宮廷にて、ポロネーズ [Polonaise] が起こる。2拍目にアクセントのあるゆっくりとした3拍子の踊り。主に舞踏会の入場の際に使われた。

17世紀 ●ポルスカ [Polska] :スウェーデン
 ポーランドの踊りの影響を受けて、スウェーデンでポルスカ [Polska] が踊られる。

●ファンダンゴ [Fandango] :スペイン
 シシリアのフェニキア人がルーツといわれ、スペインにはアメリカ・インディアン経由で入ってきた。3/8、3/4拍子のカスタネットのリズムで踊る。男女の恋愛のかけひきの踊り。

●パバーンが衰退し、ボルタは無作法だとしてルイ13世によって禁止される。

●コントラ・ダンス :アメリカ
 イギリスの清教徒がメイフラワー号で北アメリカ東部に移住。
 上陸した土地に、ニューイングランドと名づけた。この地に住み着いた人々は、イギリスにおける生活様式を固持し、踊りもイングリッシュ・カントリー・ダンスを中心に踊った。それが、後にコントラ・ダンスとして定着した。

●メヌエット [Menuet] :フランス
 フランス西部のポワトー地区のフォークダンスを元にして、ピエール・ポーシャンが手を加え、宮廷舞踊メヌエット [Menuet] が起こる。メヌエットは、ヨーロッパ中に流行し、ドイツではメヌエット [Menuett]、イギリスではミヌエット [Minuet]、イタリアではミヌエット [Minuetto] と呼ばれた。

●ガボット [Gavotte] :フランス
 フランスにて、2拍子系の農民の踊りであったガボット が宮廷舞踊として流行する。

●リゴドン [Rigaudon] :フランス
 フランスのプロヴァンス地方にリゴドン [Rigaudon] が起こる。

●ブレー [Bourree] :フランス
 2拍子系のブレー [Bourree] が起こる。

●アレマンド [Allemande] :ドイツ〜フランス
 ドイツで踊られていた宮廷舞踊アルマンド [Allemande]がフランスで流行する。アルマンドとは、フランス語で「ドイツ風」の意味。ドイツでは2拍子だったが、フランスでは4拍子に変わる。

●「ダンシングマスター」発行 :イングランド
 イングランドの舞踊研究者であるプレイフォード氏によって、イングリッシュ・カントリー・ダンスの手引書が発行された。これには、踊り方と譜面が100曲以上も紹介せれており、踊りの普及に貢献した。

●ブランル [Branle] :フランス
 ベルサイユ宮殿で開かれた舞踏会のオープニングでは、ブランルが踊られた。これは、18世紀までの宮廷の公式舞踏会では、共通のプログラムである。
 初期のブランルは、全員でサークルを作って飛び跳ねて踊る粗野な感じだったが、ベルサイユ宮廷で踊られたブランルはかなり異なる。まず、男性ラインと女性ラインを作って入場する。この時、王の後ろに男性が並び、王妃の後ろに女性が、位の高いものから並ぶ。会場に入り、サークル状になり、王と王妃のカップルが円内に出て、1カップルのみが踊る。次に位の高いカップルが続いて踊る。この後も位の順に1カップルづつ円内に出て踊る、という風にまるで顔見せの様に踊ったようである。
 ブランルの次には、カップル・ダンスが踊られた。この時も身分の順に1組づつ踊られた。まず、王と王妃が踊り、次に王妃と王の次に身分の高い男性が踊る。続いて身分の高い男性と王妃の次に身分の高い女性が踊る、という風に順々に1組づつカップル・ダンスを披露した。他の全員は、椅子についたり、壁際に立って踊りを見守った。いや、見守ったというより、それぞれのダンス・テクニックやスタイルをチェックしていた。
 ルイ14世の若い頃、このカップル・ダンスは、クーラントだったらしい。ダンスの天才であったルイ14世は宮廷の中で、最も上手だったそうである。そして、メヌエットが完成してからは、メヌエットが2番目の踊りとなり、ブランルとメヌエットはベルサイユ宮殿での重要なプログラムとなった。

18世紀 ●イングリッシュ・カントリー・ダンス :イングランド〜フランス
 イングリッシュ・カントリー・ダンスが、イングランドからフランスに渡った。
 それまでの文化はフランスからイングランドへと流れていたが、イングリッシュ・カントリー・ダンスは逆の流れである。

●コントルダンス [Contre danses] :フランス
 フランスでは、宮廷舞踊が衰退し、イングリッシュ・カントリー・ダンスが流行する。
 ただし、カントリー・ダンスという言葉はフランス貴族には好まれず、コントルダンスという名称がつけられた。カントリーという言葉には、田舎の意味合いもあり、貴族としては納得がいかなかったことと、これまでフランスがダンスの流行源だったため、イングランド産の踊りを踊ることに抵抗があったことによる。

●シャコンヌ [Chaconne] :スペイン
 シャコンヌ [Chaconne] が流行する。3拍子の踊り。

●フルラーナ [Furlana] :イタリア、ヴェネティア
 フルラーナは、6/8拍子の激しい求愛ダンスで、タランテラに似ているが野生的で不統一である。

●「コントルダンス・ブック」出版 :フランス、パリ
 ボーシャンの弟子であるフェイレによって、「コントルダンス・ブック」が出版される。

●コントルダンスの広がり
 フランスのコントルダンス [Contre danses] が、スペインでコントラダンザ [Contra Danza]、ドイツでコントレタンツ [Contretanz] となり、ヨーロッパ中に流行する。

●コチロン [Cotillon]  :フランス
 スクエア隊形の踊り、コチロン [Cotillon] が起こる。

●カドリール [Quadrille]  :フランス
 コチロンが発展し、カドリール [Quadrille] となり流行する。

●カルマニョーン:フランス
 フランスでカルマニョーンが流行する。ファランドールのように鎖状に連なって踊る荒々しい踊り。

●4拍子であったアルマンド [Allemande]が、3拍子に変わる。

●レンドラー [Landler] :チロル地方
 ドイツ、アルプス地方にて、民族舞踊レンドラー [Landler] が盛んに踊られる。

●ホタ [Jota] :スペイン
 18世紀の後半から19世紀にかけてアラゴン地方で流行した踊り。男女が離れて向き合って踊る。

●セビリャーナス[Sevilanas] :スペイン・アンダルシア
 セビリア(アンダルシア)の踊り。男女の恋愛模様の踊り。

●ツォーファヴァー [Cofava] :チェコ
 3/4拍子のモラビア、ハナ地方の踊り。
 ゆっくりとしたテンポの歩くような踊りで、ハナ地方では最も古い踊りの一つである。2人あるいは3人の踊り手が、前後に行きつ戻りつしながら優雅に踊られる。
 ツォーファヴァーは、市民・貴族階級に浸透し、モラビアをこえて18世紀末にはウィーンの宮廷でも踊られるようになっていた。また、同時に婚礼などの民俗儀礼などに際しても盛んに踊られるようになった。

19世紀 ●ファンダンゴの衰退:スペイン
 スペインを中心に流行していたファンダンゴが、あまりにも官能過ぎるとして踊られなくなった。

●フラメンコ [Flamenco]の流行 :スペイン
 15世紀頃に始まったフラメンコが、ロム(ジプシー)の間で踊り継がれ、19世紀に流行した。
 指をならすピトス、手拍子のパルマス、足をふみならすサパテアードなどのテクニックをまじえ、変化の多いリズムの中ではげしい踊りがくりひろげられる。カスタネットの音につれ派手なステップで床を鳴らして踊るのが特色。

●マズルカ [Mazurka] :ポーランド
 元は農民の踊りだったマズルカ [Mazurka] が、ポーランドの貴族の間で流行し、ヨーロッパ中に普及する。3拍子系の活発な踊り。

●チャミコス [Tsamikos]
 チャミコスは、ギリシャ独立戦争中に、イピロス地方の山のゲリラ(クレフテス)が全ギリシャに広めた勇壮な踊り(独立は1821年)。3/4拍子のリズムに合わせて踊るオープン・サークルの踊り。クレフテスの衣装は、フスタネーラ [ Foustanella ] と呼ばれる沢山のプリーツの入ったキルト・スカートである。

●ポロネーズ [Polonaise] ヨーロッパ普及
 16世紀後半にポーランドで起こったポロネーズ [Polonaise] が、ヨーロッパ中に普及する。舞踏会での入場の定番曲となる。

●ショーティッシュ [Schottische] :ドイツ
 ドイツでショーティッシュ [Schottische] が流行する。ショーティッシュとは、「スコットランド風」の意で、陽気で元気のいいカップル・ダンス。元は、ドイツのラインレンダー [Rheinlander] という踊りである。

●オールド・タイム・ダンス [Old Time Dance] :イギリス
 オールド・タイム・ダンスとは、同一のシークエンスを持つカップル・ダンスのこと。

●ウィンナー・ワルツ [Waltz] :オーストリア・ウィーン
 13世紀頃、チロル地方で踊られていたヴェッラー[Weller]というカップル・ダンスが発展し、ウィンナー・ワルツに発展した。流行のきっかけは、1814年のウィーン会議である。その後イングランドに渡ったワルツは、音楽が遅くなり、優雅な踊りへと変化した。

●ポルカ [Polka] :チェコ
 チェコのボヘミアで、2拍子系の回転舞踊ポルカ [Polka] が起こる。
 その後、インターナショナル・ダンスとしてヨーロッパ、アメリカに広く普及した。

●チャルダッシュ [Csardas] :ハンガリー
 19世紀から始まったカップル・ダンス。現在ではハンガリーを代表する踊りだと言われている。
 チャルダッシュの語源が居酒屋(チャルダ)であることから推測できるように、居酒屋で気の合ったカップルが気分のおもむくままに即興で踊るのが本来の姿であり、フィギュアもステップも固定したものはない。ただ、音楽の構成は一定していて、ロッシューと呼ばれるテンポの比較的遅い部分のあとに、テンポの速いフリッシュという部分がくる。フリッシュでは、普通2人が組んで回転する。
 チャルダッシュは、踊りの名であり、曲の名であり、ステップ・クローズという動きも表わしている。
 ハンガリーのチャルダッシュは、スロバキアにも伝わった。

●ワルツ、カドリール、ランサーズ、コチロンなどが、舞踏会でよく踊られた。カントリー・ダンスはヨーロッパでは踊られなくなった。

●バルソビアナ [Varsovienne] :ポーランド
 ポーランドのワルシャワで、マズルカ系のバルソビアナ [Varsovienne]が流行する。バルソビアナとは、ラテン語でワルシャワの意味であり、この踊りに出てくるポジションが、バルソビアナ・ポジションとして定着した。

●クヤビヤク [Kujawiak] :ポーランド
 クヤビ地方の3/4拍子のスローテンポの踊りで、同じナショナル・ダンスのオベレックと交互に踊られることが多い。元来、恋人同士の踊りと言われている。

●タップ・ダンス [Tap Dance]:アメリカ
 アイルランド移民の踊りと黒人の踊りが融合し、タップ・ダンスが起こる。後にタップ・ダンスが変化し、ジャズ・ダンスとなる。

●タンゴ [Tango] :アルゼンチン
 19世紀後半、アルゼンチンのブエノスアイレス付近にタンゴ [Tango] が起こる。

●カンカン [Can Can] :フランス
 1890年頃、フランスでカンカンが流行する。踊り子たちが足を高くけり上げて踊るライン・ダンス。フレンチ・カンカンとも。「天国と地獄」の音楽が有名。

●黒人の間でケーキウォークが流行する:アメリカ
 ダンス・コンテストが行われ、その景品がケーキだったことからのネーミング。ケーキを運ぶステップではない。特にケリー・ミルスの「ジョージァ・キャンプ・ミーティング」で踊ることが流行る。

●ポルカ・マズルカ [Polka Mazlka] :ヨーロッパ
 19世紀の後半にヨーロッパ中で流行したターン中心の踊り。

●ハンボ・ポルスカ [Hambo Polska] :スウェーデン
 ポルカ・マズルカがスウェーデンに入って変化した踊り。19世紀終わりのハンボは、ポルカ・マズルカと同様にターンが連続する踊りであったが、20世紀に入ってからは最初の2小節にダル・ステップが入った。

20世紀 ●ワルツ、カドリールなどが衰退する :ヨーロッパ

●コンチネンタル・タンゴ:ヨーロッパ
 19世紀後半にアルゼンチンで生まれたタンゴ [Tango] がヨーロッパで流行する。

●チャールストン [Charleston]:アメリカ
 黒人の間で、初期のジャズに合わせて軽快に踊る チャールストン [Charleston] が起こる。

●英国民族舞踊民謡協会 (EFDS) 創立 :イングランド
 1911年、イングランドで、セシル・シャープ氏が創始者となり創立された。ほとんど踊られなくなっていたイングリッシュ・カントリー・ダンス、モリス・ダンス、クロッグ・ダンス、バーン・ダンスなどの踊りの復興がなされた。

◆YMCAによるフォークダンスの指導 (1917) :日本

◆日本で社交ダンスが大流行する。

●スコティッシュ・カントリー・ダンス協会 (SCDS) 創立:スコットランド
 1923年、スコットランドで、ジーン・ミリガン女史が創始者となり、スコティッシュ・カントリー・ダンス協会が創立された。

◆学校教育にフォークダンスが取り入れられる (1926) :日本

●ジルバ(ジターバグ)[Jitterbug] (1940) :アメリカ
 自由で活発なカップル・ダンス。ブギ・ウギやスィング・ジャズの伴奏で踊った。

◆スクエア・ダンス流行 :日本
 アメリカのグループ・ダンスであるスクエア・ダンスが日本で流行した。来日していたGHQの軍民間教育担当官ウインフィールド・P・ニブロ氏により伝達された。この頃は、フォークダンスの種目もスクエア・ダンスとして呼ばれていた。

◆日本フォークダンス連盟創立 (1956) :日本
 社団法人日本フォークダンス連盟は、文部省から許可された国内唯一のフォークダンス団体である。

◆マイケル・ハーマン氏一行来日+講習 (1956) :日本
 マイケル・ハーマン氏は、アメリカ国務省からの使節派遣である。この時、ネルダ・リンディ(後に結婚してネルダ・ドゥルリーになる)女史も来日し、メキシコ・ダンスの講習をおこなう。

●リッキー・ホールデン氏来日+講習 (1957) :日本

◆グーリッド・カドマン女史来日+イスラエリ・ダンス講習 (1963) :日本

●カントリー・ダンス [Country Dance] 流行:アメリカ
 アメリカには、カントリー・バーやナイト・クラブが都会にも地方にもあり、そのほとんどにダンス・フロアが設けてある。そこでカントリー・ダンスが流行した。カントリー・ダンスは、カントリー・ミュージックに合わせて、振りつけられた同じ踊りを全員が踊る。現在は、カントリー・ツー・ステップというカップル・ダンスが主になっている。これは、クイック・クイック・スロー・スローというリズムで踊る。

◆日本: フォークダンス愛好者の高年齢化
 日本のフォークダンス・サークルへの新規入会者のほとんどは中高年者となり、若者はフォークダンスに関心を示さなくなった。自然にフォークダンサーの高年齢化が進んだ。
 また、男性の入会が減り、フォークダンサーのほとんどは女性になった。

21世紀 ◆日本フォークダンス連盟創立50周年記念行事開催 (2006) :日本


●2008-11-25-000
●2009-07-07-001
●2009-07-09-002