イスラエル |
Israel | ||
国 名 | イスラエル国 | |
首 都 | エルサレム | |
人 口 | 635万 (2006推計) | |
面 積 | 2万1946km2 | |
民 族 | ユダヤ人 | |
言 語 | ヘブライ語 (公用語)、アラビア語 | |
宗 教 | ユダヤ教 | |
●イスラエルの曲目● |
イスラエルの曲目とタイトルの意味、YouTubeへのリンク集です。 |
●イスラエルについて |
アジア南西部の地中海東岸にある共和国。正式国名はイスラエル国。 首都エルサレム。 ただし、国際的には未承認で、実質的にはテルアビブが政治・経済の中心都市です。 言語はヘブライ語とアラビア語、宗教はユダヤ教です。 国土の大半は砂漠地帯ですが、緑化事業が進められ、工業も発達しています。 シオニズムによって19世紀末からユダヤ人の入植が増大、英国のパレスチナ委任統治終了後、 1948年独立。アラブ諸国に囲まれ、対立・抗争が絶えない。 旧約聖書で、神ヤーウェに選ばれた契約の民であるヤコブとその子孫12部族の総称。 アラビア砂漠に興ったセム系の遊牧民で、後にエジプトに居住。 前13世紀にモーセに導かれてエジプトを脱出し、カナンに定住。 前11世紀の終わりごろサウルを王として統一王権が成立し、ダビデ・ソロモン両王の時に最も栄えた。 前928年、北のイスラエル王国と南のユダ王国の2王国に分裂。 前721年イスラエルはアッシリアに、前586年ユダは新バビロニアに滅ぼされた。 バビロン捕囚など逆境のうちにユダヤ教が成立。 前63年ローマの支配下に入ったが、のち滅ぼされ、ユダヤ人は世界各地に離散した。 |
〜Yahoo 辞典より |
●ユダヤ人 |
ヤコブの子、ユダに与えられた土地に起こった古代イスラエルのユダ王国からの名称です。 ユダ王国の首都は、エルサレムでした。 |
世界に離散したユダヤ人の全てがカナンの地に戻ったわけではなく、 今もなお多くのユダヤ人が各国に住んでいます。 |
世界のユダヤ人の総人口は約1300万人で、イスラエルとアメリカに約530万人、 フランスに50万人、カナダに37万人、イギリスに30万人、その他に123万がいます。 イスラエルとアメリカに多くのユダヤ人がいるため、 イスラエルの踊りと言うよりもユダヤの踊りがアメリカにも沢山創られています。 イスラエルでは踊られていないユダヤの創作舞踊も、 イスラエルの踊りとして日本に紹介されることもあります。 |
●イスラエルの歴史 |
イスラエルは、1948年に独立したばかりの新しい国で、国としての歴史は新しい国です。 しかし、ユダヤ民族としての歴史は長く、始祖アブラハムの孫ヤコブ(イスラエル)から始まります。 幾度かユダヤ人は、約束の土地カナンから追い出されますが、 ユダヤ教よって団結し、国はなくとも民族の誇りは捨てず、何度もカナンへと戻りました。 ローマ帝国と争うことにより、ユダヤ人はほぼ完全にカナンの地を追われ、 世界中に離散することになりました。 西暦140年頃の出来事です。 |
ユダヤ人は、パレスチナという地名を嫌います。 それは、ユダヤ人の敵ペリシテ人の土地と言う意味だからです。 ローマ帝国は、カナンの土地にわざとパレスチナという名をつけ、ユダヤ人に嫌がらせをし、 定住の意志をそぐ様に仕向けました。 |
その後、1948年に独立するまでユダヤ人は各地に離散し、迫害され続けることになります。 |
19世紀後半から、徐々にカナンの土地にユダヤ人が帰還しはじめ、それがシオニズム運動となり、 本格的にユダヤ人はカナンへと戻りました。 イギリスがシオニズムに協力し、ユダヤ人移動がさらに進み、パレスチナの地はアラブとの争いが激化しました。 |
●ユダヤの音楽 |
○クレズマー |
東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人たちの音楽です。 「クレ・ゼメル」から変化した名称で、「歌の道具」の意味です。 |
起源は、バルカン半島北部、ドイツ、東ヨーロッパだと言われ、16世紀頃に起こりました。 アップ・ビートな音楽で、楽器はクラリネット、ヴァイオリンが主に使用されます。 ロマ(ジプシー)によっても演奏されています。 |
有名な曲に、「ドナ・ドナ」、「屋根の上のバイオリン弾き」の音楽があり、 ユダヤ系のアメリカ人の間でも人気のある音楽で、結婚式などで演奏されています。 |
○ズミロット [ Zmirot ] |
ユダヤ人の賛美歌です。 |
○ニグン [ Nigun ] |
歌の意味。 宗教的なグループ・ソングのこと。 特にハシディック系の歌のことです。 |
○ピズモニム [ Pizmonim ] |
中東起源の古い曲と神を賛美する詩による音楽です。 |
●イスラエルの踊り |
聖書には、踊るシーンが多く出てきますが、その伝統からか、ユダヤ人は踊ることが大好きです。 気晴らしのため、喜びを表し、仲間との交流、他のコミュニティーとの交流のため、ユダヤ人は大いに踊りました。 自分たちの伝承の踊り、離散中もたどり着いた土地で出会った民族の踊りを楽しみました。 |
特に結婚式におけるダンスは、彼らにとって特別のものだったようです。 東ヨーロッパのユダヤ人たちは、結婚式の時クレズマーという軽快な音楽にあわせ、みんなでにぎやかに踊りました。 |
イスラエル国が建国された時、人々の踊りは、一人一人の人生の反映でもありました。 約束の土地カナンに戻ってきた喜びを歌い、踊りにしたのです。 |
建国の混乱の中、士気・団結を図るため、ユダヤ人はことある毎に集い、ダンスを踊りました。 そのダンスは、ルーマニアに住んでいたユダヤ人達が持ち帰ったルーマニアの踊り「ホラ」です。 ユダヤ人の歌に合わせて、単純なホラのステップで踊っていました。 一つの円になり、エネルギッシュに踊るイスラエルのホラは、 人々に受け入れられ、建国当時の人々にとって大切な踊りとなりました。 |
1948年、5月14日。 イスラエル国独立。 この時、大々的にホラが踊られました。 |
イスラエルのフォークダンスは、世界中からのユダヤの踊りと イスラエルに戻る前に住んでいた地方の踊りがミックスしています。 他の国では、伝統芸能を保護するためにフォークダンスが育成されていますが、 イスラエルのフォークダンスは、歴史的なものと近代的なもの、聖書にちなんだもの、 そして現代舞踊のスタイルを軸にして、1940年代から発展した新しい芸術です。 |
イスラエルのフォークダンスの転換期は、1944年、キブツ・ダリヤで、 「第一回フォークダンス大会」が行われたときです。 フォークダンスに対する熱が高まり、それとともに、多種多様のフォークダンスが創作されるようになったのです。 離散の地で踊られていたユダヤ・ダンスや、アラブのデブカ・ダンスなどの伝統的な地方の踊り、 また、アメリカのジャズやラテン・リズム、地中海地方の典型的な拍子など、 色々な特色とスタイルを取り入れて組み合わされ、新しいダンスが創作されました。 |
イスラエルのフォークダンスは、ほとんどがポピュラーな歌に合わせて踊られます。 ステップやフォームも非情に変化に富んでおり、旧い伝統をもった若い国のバイタリティと活気が表れています。 フォークダンスへの国民の熱が高まり、プロの教師を生みだし、 何千という人々がレクリェーションとして定期的に参加するようになりました。 各地で毎週フォークダンスの会が開かれ、プロのグループ公演の後援をするところもあります。 |
イスラエルのフォークダンスと並んで、各民族グループの伝統的フォークダンスの会もあります。 イスラエルは離散のユダヤ人が世界中から集合した、複合的性格をもつ社会だからです。 イェメン、クルド、北アフリカ、インド、グルジア、エチオピアなどのダンス・グループがあり、 また、アラブ、ドルーズ、チェルケスのダンスは、プロのグループが維持しています。 |
●イスラエルの踊りの種類 |
○ホラ [ Hora ] |
ルーマニア系の元気の良い踊り。 |
○イェメナイト [ Yemenite ] |
イェメンに住んでいたユダヤ人たちが伝承してきた踊り。 |
○ハシデック [ Chassidic ] |
東ヨーロッパに始まったハシデック教の人たちの踊り。 |
○デブカ [ Debka ] |
アラブのダブケーのイスラエル版。 |
○混合系 |
ホラ+ハシデック、ホラ+デブカ、などの様な混合系です。 |
●2009-07-21-001 |