ポーランド






Poland
国 名 ポーランド共和国
「農牧地の国」の意味。
ポーランドとは、ドイツ語、英語による地名で、ポーランド語地名は、「ポルスカ」です。
首 都 ワルシャワ
人 口 3864万4184人(2000年推計)
面 積 31万2684km2
民 族 ポーランド人(西スラブ語族)
言 語 ポーランド語 (公用語)
宗 教 カトリック
波 蘭



Poland

○ポーランドについて
 バルト海に面する、ヨーロッパ中央部の共和国です。
 10世紀後半に初期封建国家が成立し、
 14〜16世紀には領域がリトアニア・ベラルーシ・ウクライナに及ぶ大国として栄えました。
 1772年、93年、95年の三次にわたりプロイセン・オーストリア・ロシアに分割され滅びましたが、
 第一次世界大戦後共和国として独立しました。
 第二次世界大戦中は、ドイツ軍・ソ連軍に分割占領され、
 1947年人民共和国が成立、89年に共和国と改称しました。
 住民は西スラブ系のポーランド人です。

Dance

 ポーランドの踊りは、地理的に大きく3つに分けられます。
 第一にバルト海に面した北部ですが、平原湿地帯には小さな湖が無数にあり、
 農業と牧畜を主としていますが、古くから伝わるフォークダンスは皆無です。
 第二は、首都ワルシャワのある中部地帯ですが、
 ここには、日本人にもおなじみのマゾフシェ地方のマゾフシェ舞踊団と、
 西南部にシュロンスク舞踊団があります。
 豊かな土地で多くの人々が住みついていたので、
 大部分のポーランドのフォークダンスは、この地方のものです。
 第三は、南部山岳地帯ですが、山岳住民の生活をしのばせる斧を振り回す踊りなどがあります。


 ポーランドの踊りは、国全体で踊られているナショナル・ダンスと
 各地方で踊られているリージョナル・ダンスに分けられます。

●ナショナル・ダンス [National dance]

●ポロネーズ [Polonez]
 3/4拍子。
 または、ポロノワーズ。
 フランス語で、「ポーランドの舞曲」の意味。
 農民の踊りとは異なり、貴族たちの舞踏会最初のグランド・マーチとして踊られたもので、
 現在でも舞踏会や公演のプロローグとして盛んに踊られており、
 気品と優雅さにおいて絶無といわれています。
 16世紀に踊られていたポロネーズは4/4拍子でしたが、
 後に3/4拍子になったと伝えられています。
 17世紀には、ドイツ語でポルニシェ・タンツ、ラテン語でチョレア・ポロニカと呼ばれ、
 19世紀にはヨーロッパ中に普及しました。

●マズール [Mazur]
 3/4拍子。
 4つの基本ステップから成り立っている踊りです。
 隊形の変化を主体としています。
 4つのステップとは、パ・マルシェ、パ・シャッセ、ホービエッツ、パ・クウペです。
 組み方は、ポロネーズの第一、第二ポジションと共通です。

●クラコビヤク [Krakowiak]
 2/4拍子。
 非常に勇壮活発な踊りです。
 踊りはリーダーの合図により、次から次へとフィギュアが変えられ定まった踊り方はありません。
 クラコビアクの名は発生地であるクラコウからきています。

●クヤビヤク [Kujawiak]
 3/4拍子。
 クヤビ地方のスローテンポの踊りで、比較的近代(19世紀)に生まれていて、
 同じナショナル・ダンスのオベレックと交互に踊られることが多いようです。
 ステップを見るとやさしく感じますが、特徴を修得しなければクヤビアクを踊ったことにはなりません。
 元来、恋人同士の踊りとも言われています。

●オベレック [Oberek]
 3/4拍子。
 マズールの変化形として生まれた踊り。
 クヤビアクとセットで踊られることが多いようです。


●ポルカ [ Polka ]

 ○ポルカ・プシェズ・ノゲ [ Polka Przez Noge ]


●リージョナル・ダンス
●オレンダー [ Olender ]

●コロメイカ [ Kolomejka ]

●ズブイニツキ [Zbojnicki]
 南ポーランドから東スロバキア、西ウクライナにかけて広がるカルパティア山地は、
 大規模な牧羊が昔から盛んな地方で、独特の文化を育んできました。
 男性の群舞はこの地方の特徴的な踊りですが、ズブイニツキもその一つです。
 この踊りは男性だけで踊られ、踊り手の数は4人から16人までです。
 ヴァイオリンとコントラバスのアンサンブルによる4拍子の軽快なメロディーが繰返され、
 オノを交差させて打ちならしながらエネルギッシュに膝をおり、
 跳躍し、足を踏みならす動作が特徴です。
 ズブイニツキの名称は、カルパティア山中に住み、
 貧しい者や不当に迫害された者たちを守ったという伝説的な義賊を意味するズブイニクに由来します。
 しばしば民謡にも歌われる彼らは、たき火を囲んで戦いの歌を歌いながらこの踊りを踊ったといいます。